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「てれれの教えてくれたこと――10周年に寄せて」

 てれれと出会った2009年夏、私はダルク女性ハウス(薬物・アルコール依存症女性の回復・生活支援施設)のリカバード(経験者/回復者)スタッフだった。依存症と回復について広く一般に向けて説明する役割に疲弊していた。世間の誤解と偏見に立ちすくみ、誤解を恐れる仲間からも孤立した。

 てれれを知った私は、すぐに地元の西荻窪で「カフェ放送てれれ東京支部」を始めた。映像やアートの専門家でない「ただの近所の人」の自分が、いまできることをやればいい、とてれれは教えてくれた。
 てれれをきっかけに近所のたまり場「エチカ」運営に加わり、銭湯、古本屋、古着屋、カレー屋、定食屋…とつながって、このまちがどんどん面白くなっていった。そして私は大好きで誇らしいこのまちに、突きつけられた。私は常になにかを吞んでいる。もし素性が知られたら、ここに居られるだろうか? と。
 てれれは、このまちで暮らすという、命がけの実験だった。ひとりでも始めて、続けたのは、きっと、ほかの何かを吞んで暮らす人たちがいるから。
 てれれが育てるのは「聴く耳」だ。マイノリティの側から「ふつうの人にわかるように」説明することは困難だ。「聴く耳」をゆたかにはぐぐむことと、つたなくとも真摯な表現を励まし育てることの両方がてれれにはある。そんな存在そのものに、私は大きく救われた。


 2011年3月11日。地震にホウシャノウに、東京も被災した。家族、夫婦、恋人…近しい者どうしに内在した相違をあぶり出し、引き裂いた。震災が突きつけた問いの前に、私はなにもいえなくなってしまった。
 結局、宮城県に引っ越した。友人の実家が「汚染がれき」などと呼ばれ始めたこの土地に暮らすことを決めた。沿岸と内陸の間にさえある温度差。関東、もっと西との絶望的な分断。でも、自分で動けるのだし、人はつながるのだし、全てわかりあえなくとも一緒に暮らせるのだし、すったもんだのうちにふっと解ける瞬間があるのだし、てれれを通して体感したこういうことが、希望をもって先を見通す、ちいさな光になっている。

 どんなときも大事なことは当たり前の生活の中にあって、状況が深刻である程にきわだって尊い。それもまた、てれれが教えてくれたことだった。声ならぬ声、小さくてほんとうのことに、耳を澄ます。傍らに立っていたいと願う。そこには逆境を笑い飛ばす力が満ちている。そんな力に、私は生かされている。



バタコ(元・カフェ放送てれれ東京支部)
※てれれ10周年に寄せて、寄稿したものです
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てれれ東京支部

Author:てれれ東京支部
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